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義経ドリームロード
義経が屋島に向かって進軍した進路は、現在「義経街道」と呼ばれ、義経が大阪より風雨の中を押してたどり着き、軍船を集めたとされる「勢合」を起点として、小松島市内の義経ゆかりの地を結ぶ約10キロメートルを「義経ドリームロード」として案内板や道標が設置され、史跡やロマンを求める人々に親しまれています。
義経が小松島の海岸に上陸してから屋島に攻め入るまで、わずか1日の出来事でありながら、弦張坂、弦巻坂、旗山、くらかけの岩、天馬岩、弁慶の岩屋など、義経にまつわる伝説の場所が多く残されており、人々の義経にかける思いの深さが感じられます。
勢合(田野町勢合)

源平合戦のとき、義経が摂津(大阪)の渡辺の津より風雨の中を押して到着した軍船を集めて勢揃いした。現在の田野町勢合、赤石山麓付近。
勢合と釈迦庵の間には、「義経馬蹄洗池」「弁慶勢くぐりの岩」「弁慶橋」がある。
住所:田野町勢合 (地図はこちら)
旗山(芝生町宮ノ前)
義経が勢揃いして士気を高揚するために、田野と芝生の境にある小島(当時)の山頂へ源氏の白旗を立て軍陣の標記としたことからこの 山を旗山と呼ぶ。
また、この地には像高6.7mの源義経公之像(騎馬像では日本一)が 雄壮な姿で山頂東端にそびえている。
天馬石(芝生町宮ノ前)

名馬麿墨と宇治川先陣争いをした名馬池月が石に化したといわれ、また馬が天からおりて化石になったという天馬石は、旗山の東北角にあって、馬の形をしており、この石を踏むと腹痛を起こすと言われている。
住所:芝生町字宮ノ後 (地図はこちら)
弁慶の岩屋(芝生町大獄)
弁慶の岩屋と呼ばれる古墳は、今から約一千数百年以前この地の豪族のお墓でいわゆる横穴式古墳であり、県下では珍しい立派なものである。
このすばらしい岩屋は強力な弁慶でなくては出来ないということでこの地方の人たちが名付けたのである。
新居見城跡(新居見町東山下)
義経が上陸の際、屋島に向けて道案内をした近藤六親の居城で百騎余りの兵を養う山城である。兵を集めると二百余の軍勢は招集できた。





